医療改善ネットワーク(MIネット)
会員のエッセイ集

その2

2000年

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6.忘れられない「一言」
      2000. 1.31    安原幸彦(弁護士:東京)



 忘れられない「一言」

      2000. 1.31    安原幸彦(弁護士:東京)


 誰しも、心に残る「一言」があると思います。私にもありますが、特に医療裁判の当事者の「一言」で忘れらないものが多くあります。その幾つかを紹介してみたいと思います。

1)「先生こそ立派な医者になって下さい」

 「(医療過誤から)9年目にして初めて医者は『もうしわけありませんでした。どうぞお子さんを立派に育てて下さい。』と頭を下げた。これを聞いた母親は隼人君を抱きしめながらこう言い放ったのである。『先生に言われなくても、この子は立派に育てます。先生の方こそ立派な医者になるよう努力して下さい。』医療裁判は、ずさんな医療に対する医師の責任を追及し被害の救済をはかるものである。しかしこの裁判はそれにとどまらず、障害者をわが子とした若い夫婦が、生きていく道筋を追求していく裁判でもあった。むしろそちらの方が裁判のポイントだったのかもしれない。母親のこの言葉は、その道筋を見いだした者のみが放ちうるものなのである。」
 この場面は、今から13年半も前の東京高裁の和解の席上のものですが、今でも私の目に鮮やかに焼き付いています。何度も聞かされて、いささかうんざりしている同僚もいます。それほどにこの一言は心を揺さぶりました。この「一言」は、医療裁判に取り組むときに、私たちが何を目標に置くべきかを教えていると思います。

2)「自慢の息子を亡くしました」

 この言葉は、やはり出産事故で子供が脳性麻痺になった事件の母親の言葉です。この事件は一審で敗訴しましたが、高裁で有利な鑑定を得たこともあって勝利的な和解をしました。その和解を待っていたかのように、被害者の少年は亡くなりました。そのお葬式に駆け付けたときに、私の顔を見るなり母親は言いました。「先生残念です。自慢の息子を亡くしました。」
 母親がこう言うに至るまでには、長い道のりがありました。比較的高齢の出産で、初めての子が脳性麻痺という事態に直面し、この夫婦も動揺の日々を繰り返してきました。それを断ち切れたのは、医療裁判を闘い、その中で同じように医療被害と闘う人たちと出会ったことが大きかったと思います。だからこそ第二子も産むこともできたのでしょう。
 お葬式の時私も亡くなった子供の顔を見ました。顔は安らかでしたが、顔中にテープを貼った跡がありました。たくさんのチューブが入っていたのでしょう。何も喋ることもできず、寝たきりで、毎日が病気と闘う日々という11年の人生でした。その懸命に闘う姿を見て「自慢の息子」と言ったのだと思います。私は、その言葉を聞きながら、被害を克服し前向きに生きた者の放つ光と誇りのようなものを感じました。

3)「皆さんの支援で得た勝利を糧にこれから頑張っていこうと思います」

 これは、高カロリー輸液にビタミンB1を添加しなかったためにウェルニッケ脳症となり重度の記憶障害を残した事件の原告の男性の言葉です。昨年九月に判決があり、原告が全面勝訴し確定しました。この事件には、原告の友人たちを中心とした支援する会があったのですが、この発言はその勝利報告会でのものです。
 ちょっと聞くとごくありきたりの挨拶に聞こえるかもしれませんが、私はこれ聞いて深い感動を覚えました。彼は、数時間前の記憶を保持できません。裁判所は判決の中でそのことをとらえて、「かけがえのない妻や子供らとの思い出を自らの記憶として残していくことのできない無念さは察するに余りある」と述べています。そのために、支援者の前でする彼の挨拶は決まって「今自分がどうしてこのような場にいるのか正直驚いています。」というものでした。真面目な性格もあって、自分の存在が家族の負担になっているのではないか、という思いもありました。なかなか「これから頑張っていく」という言葉を聞くことはできなかったのです。
 多くの人たちの支えで裁判に勝ったことは、その彼をして「頑張っていこうと思います」と言わしめたのだと思います。もちろん裁判で勝ったことでこの家族が抱える問題が全て解決したわけではありません。まだまだ困難はたくさんあるでしょう。しかし、生きる道筋は確かにつかんだのではないか、この発言を聞きながら私は思いを巡らせていました。

4)「先生個人への悪感情は不思議な程ありません」

 1997年11月にその事故は起きました。双子を出産した後の出血が止まらず、母親が遂に死亡したのです。典型的な弛緩出血でした。事故は都内の基幹病院で発生しました。出血量に比べて輸血量が全く不足していたのです。双子の子を残された夫は呆然とするばかりでした。
 この事件は、証拠保全・病院での説明会・それを踏まえた代理人間の交渉を経て、示談で解決しました。病院での説明会で、夫が主治医を問い質し、「こちらとしては血液をどんどん入れるつもりで対応したけれども、その対応が少し足りなかったということは、もう認めざるを得ないと思います。」と白状させたのが決め手でした。そして病院内で院長も出席して和解書の調印式をしました。調印式は、院長挨拶・和解書の調印・主治医の発言と進み、最後に夫から発言がありました。これはその時のものです。
 その席で夫は、妻を失ってからの2年間の苦しみを切々と話し、最後にこう締めくくりました。「担当医であった先生個人への悪い感情というものは、不思議なほどありません。うまくいって当然、失敗すれば非難を受ける立場は大変なものであると思います。その後も多数のお産を担当されていると思いますが、この件が慎重さを増す結果になったとしても心に重荷として残らないことを望んでいます。」何という気高く心優しい言葉でしょうか。弁護士どうしの示談なら1年で済んだかもしれないこの事件を本人とともにじっくり取り組んだかいがあったというものです。

 医療裁判の目的は、被害者が被害を克服し、これからを前向きに生きる道筋を見いだすことにあるというのが私の持論です。それは私が考えたことではなく、被害者に教えられた結論です。それが凝縮しているのがこれらの「一言」なのです。