サリドマイドは「安全な」睡眠薬として開発・販売されたが、妊娠初期の妊婦が用いた場合に催奇形性があり、四肢の全部あるいは一部が短いなどの独特の奇形をもつ新生児が多数生じた。日本においては、諸外国が回収した後も販売が続けられ、この約半年の遅れの間に被害児の半分が出生したと推定されている。大日本製薬と厚生省は、西ドイツでの警告や回収措置を無視してこの危険な薬を漫然と売り続けた。米国のFDAが認可せず、治験段階の約10人の被害者に留めたこととは対照的な結果となった。
戦後の薬害の原点となる事件である。
サリドマイドは、ドイツ(西独)のグリュネンタール社が開発した催眠剤で、1957年10月1日、「コンテルガン」の商品名で市販された。後に妊娠初期の妊婦が服用することによって胎児に独特の奇形(フォコメリア等)が生じることがわかり、1961年11月15日にドイツ(当時西独)のW.レンツ博士がコン照るガンが原因と警告した。1961年11月26日、グリュネンタール社は回収を決定した。
1960年9月に米国メレル社はFDA(アメリカ食品医薬品局)に販売許可を申請したが、M・ケルシーさんはデータが不備として認可を拒否した。
日本では、大日本製薬が独自の製法を開発し、1958年1月20日に「イソミン」の名称で販売を開始、1959年8月22日には胃腸薬「プロバンM」に配合して市販した。
東京の都立築地産院では1959年から1961年までに3例のフォコメリア児の出産が報告されるなど、全国で被害が生じたが、大日本製薬は当時西ドイツに研究員を派遣するなどして情報を入手していたにもかかわらずこれを無視し販売を続けた。また厚生省も1962年2月に亜細亜製薬のサリドマイド剤「パングル」を認可するなど、世界の大勢を全く無視し続けた。
1962年5月17日に大日本製薬がイソミンとプロバンMの出荷停止を、24日にはサリドマイド剤メーカー5社がそれぞれの製品の出荷停止を厚生省に申し入れた。その9月13日にようやく大日本製薬などが販売停止・回収に踏み切った(しかしその後も回収されないサリドマイド剤が市中で販売されていた)。厚生省は翌14日、サリドマイドの被害調査を東大・森山教授に依頼した。
被害者は、1962年年末までに広島・京都などでイソミンの販売と製造許可に対し法務局に人権侵害で訴えたが、翌5月13日、法務省人権擁護局は「侵害の事実なし」と結論。1963年6月28日に大日本製薬を被告として最初の損害賠償請求が名古屋地裁に提訴された。
1974年10月13日、全国サリドマイド訴訟統一原告団と国及び大日本製薬との間で和解の確認書を調印、続いて26日には東京地裁で和解が成立した。以後、11月12日までの間に、全国8地裁で順次和解が成立した。
(以下の資料は、(財)いしずえ発行資料から転載しました。)
サリドマイド被害香は、サリドマイド製剤の睡眠薬や胃腸薬を服用した母親の胎内で、薬の影響を受け、四肢や耳に先天的な障害を受けて生まれました。
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| 1959 |
6
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6
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12
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| 1960 |
16
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9
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25
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| 1961 |
34
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24
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58
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| 1962 |
88
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74
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162
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| 1963 |
24
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23
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47
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| 1964 |
2
|
2
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4
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| 1969 |
1
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0
|
1
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| 計 |
171
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138
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309
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サリドマイド製剤の販売は日本では1962年に停止されましたが、回収が徹底していなかったため、その後も被害者が生まれました。
サリドマイド製剤による障害は主に四肢の欠損症と耳の障害です。(()内は障害が重複する人数)
| 上肢が非常に不自由な人 |
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| 上肢が不自由な人 |
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| 前腕が不自由な人 |
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| 手指が不自由な人 |
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| 耳が全く聞こえない人 |
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| 耳の聞こえが悪い人 |
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サリドマイド事件では、諸外国に比べて日本の回収措置が約半年遅れており、増山によればサリドマイド被害児の約半数は回収措置が早ければ被害を受けなかった。回収の遅れが被害の拡大を招いたわけだが、製薬企業が製品の回収に至るまでには、次のような経過があった。