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社会生活・医療と権利






■□■ 民主主義社会と権利 ■□■


民主主義社会においては、その正当な社会的活動の基本は、お互いの「権利」を尊重するということに基づいています。通常の生活を保障するものも、国家が認める基本的な「権利」が根拠となります。道徳として義務教育で教えられていますが、基本的な権利はあまりにも生活と密着し、意識しないまでも常に共通の判断基準として存在しています。

「権利」という言葉は訳語ですが、「権利」を意味する英語のright、フランス語の droit、ドイツ語の Rechtなどは「正しさ」「正義」と語源を同じくしています。「権利」という言葉は法治主義の下での道具概念ないし概念装置の1つで、広い意味の社会統制ないし法による正義実現のための言わば道具です。今のところ、これに代わるべき道具概念はないと考えられています。 



■□■ 資本主義と権利と医療 ■□■


かつて、消費者運動の一つとして、市民の権利獲得運動がありました。その運動のイメージから「『権利』は『利益』を追求する資本主義の『手段』だ」、と決めつける知人がいました。彼に云わせると、「医療は損得抜きの奉仕精神で行っているのに、利益を求める権利という言葉を使われると、とても抵抗がある」というのです。しかし、彼は権利という言葉を「資本主義」という利益追求社会の中でだけとらえているのであって、通常の生活をする上での良識ある市民を守る「権利」のことを忘れているようです。



■□■ 医者の権利 ■□■


例えば、Aという人が医業を行っている(医師である)のも、「権利」からです。国家が法によって、一定の手続で医業を行うことができる者を定め、それ以外の者には医業を行うことを禁じています。法による手続の下で、医業を行うことができる権利(この場合は一般には資格という意味に近いですが、法によって認められるもので、やはり権利と言えます)を取得したわけです。そのA氏の権利は、これまた法の定める手続によってしか剥奪されません。つまり、誰かが勝手な理由や意思に基づいてA氏が医業を行う権利を奪えないことになっています。

1つ1つの行為の際にいちいち意識しないでしょうが、A氏は多くの権利に支えられて生活しています。例えば、病院経営者から理由なく解雇されないのも、毎月給与を受け取ることができるのも、権利によって守られているからです。近代法は平等な主体間の「権利」の体系です。一方、封建領主と領民の間には近代法のような「権利」観念は成り立ちません。封建時代においては、要は、人治であり、領主の意思次第ということです。

なお、資本主義との関係では、知人の指摘は「一面では」当たっています。平等な権利主体間の契約という構成が資本主義の発展等を支えた面は確かにあります。しかし、だからと言って、「権利」概念の有用性自体を否定するのは正当とは思えません。



■□■ 「患者の権利」主張に反感?? ■□■


知人のように「患者の権利」という言葉に対して抵抗ないし反感等を感じている医師の方を時に見かけます。その様な方には、前述のように、自らの行動等も「権利」によって支えられていること、医療行為にも法治主義が及んでいることなどを理解していただきたいと思います。

「権利ばかり主張して・・・」というような文脈で「権利」がネガティブな印象を与えることがあるかも知れませんが、何事にも(一部の)病理現象はありえます。そのことが「権利」概念の有用性を全否定するのは行き過ぎです。個々の具体的な場面で、正当性が否定されれば、国家によって「権利」とは認められません。また、「権利」概念自体を否定することは、法治主義自体を否定するようなものです。



■□■ 権利の尊重は思いやりの医療 ■□■


「権利」が自分の行為に向けられて作用する場面だけを考えると、「権利の対立」となり反感を覚えるかも知れません。しかし、民主主義社会(国家)は権利を尊重することで成り立っています。そこを考えれば、自分(医者)の権利は当然のものと考える一方で、相手(患者)の権利を軽んじることは極めて不適切と思います。お互いの権利を認めあい、譲歩できる部分においては譲り、相手を思いやる気持ちを前面に出すことで、暖かい社会、思いやりのある医療が行えるのではないでしょうか。

これは、医療者に向けての言葉だけではなく、消費者(患者)サイドについても云えることだと考えています。医療者の言動に反感を覚えた時、その発せられた背景(医者の権利の部分かも知れませんし、個人的な都合かも知れませんが)にまで思いやって頂ければ、もう少しお互いを理解することができ、医療不信も減るのではないかと思っています。

以上のように考えますと、「患者の権利」として主張される広い意味の利益、ないしその活動範囲が正当かどうかという議論は行われてもよいと思いますが、「権利」概念自体への抵抗や反発等は意味があるとは思えません。むしろ、積極的に患者の権利を尊重することで、優しい医療を実践することができ、消費者(患者)からの信頼を得られるものと考えますが、如何でしょうか。



■□■ そして、患者の権利の尊重 ■□■


ここで、特に「患者の」と付けるのは、かつてのパターナリズムを主体とした医療において、「患者」は一方的に支配されてきた弱者であったがためです。今日では、医者が「患者のため」を考えることは当然として、しかし、「だから患者の人権を無視して良い」とは誰も考えないだろうと思います。当然のことですが、かつては「患者のため」に「患者の権利」がないがしろにされてきた歴史があります。「知る権利」「自分で決める権利」などは「わしに任せておけ」で無視されてきたことは、若いドクターの方々にもお分かり頂けることと思います。

インフォームドコンセントの採用など、少しずつ改善されてきた医療ですが、それでも十分とは云いかねる面も多々ございます。がん告知をはじめとする知る権利(カルテ開示を含む)、危険を伴う治療に対する自己決定権、自己決定権を行使するに際してのセカンドオピニオンなど、海外では当然の「患者の権利」と考えられていることが日本においては未だに完全に解放されてはおりません。

一部の先進的な医師や医療機関では、既に患者の権利を尊重する旨の表示がなされています。しかし、より多くの医療者に「患者の権利」を尊重して頂くとともに、そのポリシーを公開することで利用者の選択の材料にできるのではと考えたのが、この「リスボン宣言尊重宣言」運動です。

最後に、「権利」を行使するかどうかは一般に権利主体の意思に委ねられます。
患者に権利の行使を強制すること(例えば、自己決定権)はできませんが、患者が権利の行使を言い出せる(例えば、知る権利)関係を築いていけたなら、素晴らしい医療になるのではないかと考えています。


文責:高田宗明@MI-net



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