webzine 医療改善のために
第1号(2001年5月31日発行)

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<患者の権利関係>

カルテ開示の現況

勝村 久司(教諭)
(2001.05.30)

<「カルテ開示」問題の経過>

 1997年6月25日に、それまで患者本人にさえ開示しないように指導していたレセプト(診療報酬明細書)を、厚生省は薬害や医療過誤の被害者を中心とする市民運動に押されて、本人ばかりでなく遺族まで対象にして開示するよう全国に通達した。
 その2週間後に厚生省が招集した「診療情報の活用に関する検討会」発足にあたっては、担当事務官が「カルテを開示するか否かではなく、どのように開示していくかを検討していただく」と公言した。そして、公聴会が開催され、医療被害者団体や市民団体の声も聞き、この検討会は発足の1年後に議論の結果を報告し、その中で「カルテ開示の法制化」を提言した。
 ところが、この提言を受けて法制化の方法を議論するはずの医療審議会がその後さらに1年かけて、カルテ開示の法制化を見送る決定をしたのである。複数の世論調査で「カルテ開示法制化に賛成」が常に80%以上にのぼるという結果が示される中での、「法制化見送り」という不自然な決定の背景には、日本医師会の政治的圧力があった、とするのが大方の見方である。

<日本医師会のガイドラインを批判する>

 日本医師会は、法制化に反対する代わりに、「自らカルテ開示を進めていく」と宣言し、2000年1月1日よりカルテ開示に関するガイドラインを作り運用しているが、「告知の問題などで患者のために開示しない場合もあり得る」や「患者との信頼関係を作ることを目的とするので遺族は開示の対象としない」などの主旨が盛り込まれており、実質的には「医療者が見せたいものは見せ、見せたくないものは見せない」と言え、市民が納得できる内容には成り得ていない。
 日本医師会のガイドラインの考え方には、少なくとも二つの大きな誤りがあることを指摘しておきたい。
 まず一つ目は、「告知の問題で非開示」があり得ることを「患者のため」としている点である。「本当の病名を知ると患者が不安がるから開示しない」という主旨であるが、カルテ開示を請求して、自分だけ「非開示」と決定されて、不安にならない人はいないだろう。したがって、「非開示」とするケースは決して患者のためではないことは明かであり、「医療者のため」としか考えようがないのである。
 二つ目は、「信頼関係をつくるのが目的だから遺族へは開示しない」とするが、遺族からの開示にも応えて説明をすることが不信感を払拭し、「何かあったときにも開示します」という言葉こそが信頼関係をつくるのであり、本末転倒である。
 ガイドラインに共通しているのは、情報提供を拒み続けながら、「患者は医療のことをよく知らない素人なので見せると誤解を招くだけ」という矛盾した姿勢や、「民主主義社会では情報公開こそが信頼の証」であるのに、そもそも患者や遺族を信頼していない独善的な態度があり、日本医師会には「医師と患者の信頼関係」を語る資格はないのではないか、と言いたくなる。

<カルテ開示の現況>

 日本医師会のガイドラインが発表された以降、国立大学付属病院が出したカルテ開示のガイドラインでは、遺族への開示に関して、その検討に対しては前向きな姿勢を示したが、やはり対象外とした。その後の国立病院のガイドラインでは、ようやく遺族への開示が盛り込まれたが、死亡後60日以内という限定が加えられた。
 最近になって国立大学付属病院は、訴訟目的であってもカルテを開示する方向性を打ち出したが、個人情報保護条例を持つ地方自治体が設立した自治体では、従来からカルテの全面開示を行っており、また、多くの自治体で遺族からの開示請求に対しても対処する方向で進んでいる。
 他にも色々と問題はあるが、今や、基本的な姿勢としては、開業医を中心とする団体である日本医師会だけが、いつまでもカルテ開示に関して閉鎖的な態度をとり続ける、といって過言ではない。
 医療過誤・医療ミスとよばれるものだけでなく、医療犯罪とよぶべき、患者の命よりもお金儲けを優先するような乱診乱療や医療費の架空請求等の発覚も後を絶たない。
 情報公開こそが、医療界を民主主義の社会にしていく第一歩であり、医療界の一部の悪質な部分を改善していく切り札であるのに、日本医師会はまた「カルテ開示は、条件整備が整ってカルテが開示できるようになったところから開示ししていく」というような主張も繰り返している。
 やはりこれも本末転倒の議論であり、医療の本質を変えていくために求められているカルテ開示であるのに、医療の本質を変えずに一方的に信頼だけを得る方法はないか、に終始して対応している感があり、根本から議論がすれ違っているのが現況である。