webzine 医療改善のために
第1号(2001年5月31日発行)

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<薬剤関係>

薬害問題の現況

栗岡 幹英(社会学研究者)
(2001.05.29)

失望させたエイズ判決

 今年3月28日に東京地裁で薬害エイズ事件の被告である安部英医師に無罪判決が下された。おおかたの予想を裏切って下されたこの無罪判決には、薬害エイズ被害者はもちろん、マスコミも批判的であった。

 判決は、安部氏の、この患者への非加熱血液製剤使用の時期における危険性の認知を低く見積もるために、当時の医学界一般においてHIV感染がそれほど重大な結果をもたらすものだとは考えられていなかったと主張している。つまり「昭和61年ころまで,HIV感染者のエイズ発症率は10%程度であるなどと
し,大部分の感染者はエイズを発症しないと考えるのが一般であった」という。

 そして、「本件において,被告人は,結果発生の危険がないと判断したわけではなく,結果発生の危険はあるが,その可能性は低いと判断したものと認められる。」と指摘し、安部氏の責任を低く見積もる。つまり、10%がAIDSを発症するのは「可能性として低い」と言っているのである。

 安部氏がギャロ博士に手元の血友病患者の保存血液を送り、感染の有無を調べてもらった時点で、この患者たちの半数近くが感染しており、2人がエイズの症状を発症していた。薬の「副作用」としては大変な高率で問題が発生していたわけであり、しかもその結果が致命的である可能性があったのだ。

 さらに、判決は、安部氏の認識について、「免疫異常の改善,治療について,当時試行していた治療にかなりの効果があると認識し,その予後に関しても相当に楽観的な見通しを持っていたこと,近い将来,HIVに対するワクチンが開発されることに大きな期待を持っていたことなどが認められる」と述べて、免責をはかっている。致命的な問題がありうることに気がついた医者が対策をとらないでも免責するのでは、浜六郎氏や近藤誠氏が指摘するように、薬害の根絶はおぼつかない。

 判決は、個別的な事実の認定や評価の部分で被害者の感情を逆撫でするものになっていると言わざるをえない。

薬害の構造的問題

 しかし、この判決の最大の問題点は、薬害を構造的な観点から見ていないことである。たとえば、非加熱製剤が血友病患者が多数治療を受けていた多くの病院で標準的な方法として確立していたことを述べて安部氏の治療が標準的なものであったことを示唆しながら、他方で「血友病治療医として我が国の権威者であり,非加熱製剤による自己注射療法を中心的立場で推進してきた被告人」と述べて、安部氏の「権威」と影響力を認めている。つまり、一方で安部氏が血友病治療に果たした指導的な役割を認めながら、他方で当時の「通常の血友病専門医」の判断に照らして安部氏を免責しているのである。

 実際に起きたのは、安部氏がその立場を利用して危険性を危惧する患者や一部の医師を押し切って非加熱製剤による治療を推進したということなのだ。もともとこの裁判は、安部氏がある患者個人への非加熱製剤の投与し発症・死亡に至らせた責任を問うものであり、多数の被害を出した薬害事件の責任とは別の次元と見る判断はありうるが、この医療システムにおける権力構造をきちんと問わないという判決の姿勢は、薬害の解明と根絶にマイナスにはたらく可能性がある。

 ある医薬品による副作用被害が「薬害」事件と認定されているばあいには、その被害発生にはなんらかの構造的要因が関与しており、個人の過失や意志のみが原因なのではない、と認識されている。逆に言えば、ある副作用被害を個人の過失責任の次元で議論しているかぎり、薬害の解明はおぼつかない。個人は、医薬品が開発・製造され、消費者に服用されるまでの一連のシステムにおいて占める位置や果たす役割という観点から評価される必要があるだろう。安部氏が血友病治療やその政策形成に果たした役割を考慮しない判決が、薬害エイズ事件の解明や評価に間違いをもたらすことが懸念される。

薬害根絶にむけて

 薬害は、単なる重い副作用でもなければ、多数の被害を出した副作用でもない。効果に比べて重大な副作用が多数の患者に関して生ずるということそれ自体が、構造的な問題があることを示している。薬害エイズで死亡した被害者の家族が安部氏を告発したときには、「薬害エイズ」の責任者の一人として責任を問うて
いたであろう。

 判決は、以下のように結論を述べている。

 江川昭子氏が検察側に安易な姿勢がなかったかと指摘しているが、上記のような観点からの判断を避けた判決を許すような論理構成をしてしまったのでは、という危惧は確かに拭えない。

 薬害の構造的な性格を解明し、再発防止にむけて必要な施策をとるためにも、一連の裁判を含めて薬害エイズを風化させるわけにはいかない、ということを明らかに示したというメリットを、逆説的にこの判決に認めることもできるだろう。

 サリドマイド訴訟やスモン訴訟は、行政や製薬企業の責任を追及し、薬害の構造的問題を明らかにするとともに、具体的な対策を実現する上で貢献してきた。なお続く薬害エイズ訴訟が、同じくいま闘われているCJD(クロイツェル・ヤコブ病)訴訟とともに、薬害根絶という大きな目的に近づく着実な一歩となるよう、運動を継続してゆくことが必要だろう。

<参考資料>

浜六郎 安部氏の刑事事件判決:―科学的不正を許す判決理由を批判する―
近藤誠 「殺人罪で裁くべきだったのでは?」『いのちジャーナルエッセンス』2001年5・6月号、さいろ社
江川昭子 薬害エイズ事件無罪判決に思う:検察側の立証は充分だったのか、という視点