webzine 医療改善のために
第2号(2001年9月15日発行)
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<海外の動向> 

米国における患者権利法制定の最近の動き   

福見一郎(翻訳家)   
2001.9.★   

 米国の医療をめぐって8月2日に大きな動きがありました。これまで5年あまりの間毎年のように連邦議会に提案されてはいまもう少しのところで廃案になっていた「患者権利法案 (Patient Bill of Rights; 略してPBOR)」が8月2日に下院を通過しました。この法案は主にmanaged care医療保険プランにおける患者の権利を拡大するものです。

 既に6月に同種の法案が主に民主党の賛成で上院を通過していますが、上院通過案は、これまで医療保険の保険者への患者からの訴訟を制限していた連邦法(ERISA;後述)の規制を大幅に緩めるもので、訴訟乱発を招き民間の医療保険制度の存在を危うくするという理由で大統領は拒否権発動をちらつかせていました。下院では、これまで共和党員でありながら民主党と手を組みこの種の法案制定に向けて中心的役割を担ってきたNorwood議員が議会の夏休みを前にした土壇場で、大統領との話し合いで作成した修正案(上院案と比べ、患者側からみて後退した「妥協」案と受け止められています)を急きょ提出し、それが主に共和党員の賛成により下院で可決されました(民主党員はほとんどが反対でした)。
 N議員の動きに対しては「裏切り者」という批判の声も民主党員などからあがっているようですが、ご本人は「ともかく前進することが大事では」と「妥協」の理由を説明しているようです。ご存知のように米国で法律が成立するには、上院と下院とが全く同じ内容の法案を可決し、大統領が署名することが原則として必要です。今回下院は上院の可決した案を修正したものを可決しましたので、今後両院協議会で調整がおこなわれることになり、両院間で合意が得られれば大統領の署名を経て成立することになります(民主党が多数を占める上院は下院案にはかなり抵抗すると予想されています)。

 下院を通過した法案が認めている患者の権利、および上院通過法案との違いは次のとおりです。

− 保険者は患者が迅速に専門医を受診できるよう手配しなければならない。
− 産婦人科医の受診を希望する女性はプライマリーケア(ゲートキーパー)医の紹介を
  必要とせず、直接受診出来るようにする。
− 救急医療を受ける時は保険のネットワークに所属していない医療機関を受診しても保
  険給付を受けられるようにする(わざわざ遠方までいかなくてすむ)。
− 被保険者が新薬の臨床試験に参加する場合、診察費などの日常的費用は保険給付の対
  象とする。
− 保険医療給付についての保険者の決定に不満な患者は独立した審査機関に不服申し立
  てが出来る。
− 患者は保険者の医療給付に関する決定(保険給付拒否・制限など)により損害を受け
  た場合は州の裁判所に提訴できる。ただし、下院通過案では、以下の条件がつけられた。
   (1)独立審査機関に不服申し立てをし、それが認められたにもかかわらず保険者が
     従わなかった場合にのみ提訴できる。
   (2)非経済的損害賠償額の上限を150万ドルとする。
   (3)懲罰的損害賠償額の上限を150万ドルとする。
   (4)集団訴訟は原則として禁止。

 なお、この法案をめぐる議論の中心にあるERISA (Employee Retirement Income Security Act of 1974; 従業員退職所得保証法)は、わが国の医療関係者にはほとんどなじみはないようですが、年金基金、証券関係者、機関投資家などにはよく知られた米国の連邦法です。その主な目的は企業などが運営する私的な退職給付制度を対象に、制度加入者や給付金受取人の受給権保護をはかることですが、企業などがその従業員に提供する医療保険プランもその保護対象としています。

 国民皆保険制度のない米国において、企業が福利厚生の一環として医療保険プランを自主的に従業員に提供するのを支援するために、企業への様々な優遇措置が提供されています。その一つが、医療保険運営者の損害賠償義務を免除するERISAの規定があります。この規定によると、医療保険加入者が保険者より医療給付を拒否されたり制限され(例:専門医の診療拒否、治療給付の拒否など)、その結果、損害を被ることがあったとしても、それを理由に保険加入者が保険運営者を訴えることはできず、更に、保険運営者がHMOなどに関する州法の規定に反することをしても保険者は免責されることになります(免責の適用は保険の態様によって異なりますが)。この結果、一般的には企業が提供する医療保険プランの加入者は、医療過誤で医師を訴えることは出来ても、医療保険給付に関する保険者(HMOなど)の決定に対しては法的救済の道が著しく制約されることになります。

 州によっては患者保護の見地からHMOを厳しく規制する法律を作ったところもありますが、そうした州法も、企業の運営する医療保険プランに対してはERISAが一種の免罪符のように働くため効力を発揮できないことになります。こうしたERISAの企業運営医療保険組織優遇策が、マネジドケアにまつわる諸問題の根源であることが、かねてより指摘されてきました(マネジドケアを廃止せよという議論よりERISAを何とかせよという声の方が大きいようです)。今年になって上院を通過した法案は、このERISAの規制を緩和して、患者が保険者を訴える権利を大幅に認めていますが、上述のように、大統領はそれでは乱訴につながり、民間の医療保険制度が崩壊するとの懸念を示し、拒否権発動を示唆しました。ごく最近下院を通過した修正案は上記のように大統領の意向を反映したものとなり、保険者の決定に対する患者の不服申し立てを外部審査機関が認めたにも拘わらず保険者がそれに従わないケースにおいてのみ訴訟の道を開くというように、患者の提訴権を上院通過案よりかなり狭めるものになっています。
 米国の連邦議会も夏休みを終え、活動を再開しました。マネジドケアが今後どのように軌道修正されるのか、この法案の帰趨が注目されます。