宮本真左彦『サリドマイド禍の人びと−重い歳月のなかから』筑摩書房1981
ルポライターによる、サリドマイド被害者・家族の取材に基づく記録。巻末のレンツ博士インタビュー、年表、参考資料一覧などは有用。
最初の大規模な薬害裁判での原告・弁護団の苦労や裁判官の偏った訴訟指揮を指摘。
増山元三郎編『サリドマイド−科学者の証言』東京大学出版会1971
日本のサリドマイド被害についての増山の記述は重要。
「……1958年から1963年までに(サリドマイド被害児が)936名出たと述べたが、日本で製品回収の翌年行われたこの質問票による中間調査での──最終調査は行われた様子がない──回答率はわずか58%なのである。……回答のない場合の分析が行われてないので、奇形児の実数はもっと大きいものと思われる。……外国の場合と比較して生き残り数が半減していることがこの調査でわかる。これは日本では死んで生まれたことにされた例の多かったことを暗示している。まことに残酷な話である。」p.38
高橋晄正氏が1959年8月から61年12月にわたり都立築地参院において行われたサリドマイド剤投与で3例のフォコメリーが誕生していることを『日本産婦人科雑誌』15巻9号に報告。この点を指摘した平沢正夫氏の「サリドマイド裁判の原点」は、この裁判における国と大日本製薬の悪質な対応を明らかにしている。
財団法人いしずえは、1974年(昭和49年)、全国サリドマイド訴訟統一原告団と、国(厚生省)及び大日本製薬(株)との間で調印された和解確認書により、サリドマイド被害者のための福祉センターとして設立された。