スモン(SMON)は、腹部膨満のあと激しい腹痛を伴う下痢がおこり続いて、足裏から次第に上に向かって、しびれ、痛み、麻痺が広がり、ときに視力障害をおこし、失明にいたる疾患である。膀胱・発汗障害などの自律障害症状・性機能障害など全身に影響が及ぶ。
患者団体のス全協(スモンの会全国協議会)では、次のように指摘する。
「中枢神経麻痺、末梢神経麻痺・感覚麻痺の三つが加わったスモンの運動機能障害は、機能を回復することはきわめて困難といわれています。涙ぐましい努力によってやっと歩行が出来るようになった患者も、今では疲労と加齢が加わって、かなり症状が悪化し、余病も併発しやすくなっています。」(ス全協作成パンフレットから)
SMONは、亜急性・脊髄・視神経・抹消神経障害subacute myelo-optico-neuropathyの略称である。
スモンは、整腸剤「キノホルム」を服用したことによる副作用だと考えられている。1970年8月に新潟大学の椿忠雄教授が疫学的調査を踏まえてキノホルム原因説を提唱し、厚生省はこれを受けてキノホルム剤の販売を直ちに停止した。その結果スモンの発生は激減し、キノホルム原因説を確証する有力な証拠となった。その後、動物実験によってキノホルムがスモンの症状を引き起こすことが確認され、キノホルム説は確立されたと言える。
スモンの予後は不良であり、有効な治療法に乏しい。専門的な医学書は、予後・治療について次のように記述している。
「生命に関する予後は良好であるが、神経症候の予後は不良で、下肢のしびれ、視力障害ともに難治性である。各種ビタミン類,副腎皮質ステロイド,あるいは高圧酸素療法など各種の治療法が行われたが明らかに有効なものはない。」『新臨床内科学第7版』医学書院1999(スモンの項は濱口勝彦氏(埼玉医科大学教授・神経内科)が執筆)
スモン裁判は、きわめて大規模な薬害裁判である。訴訟は全国33地裁、8高裁で闘われ、 原告数は合計7561名に達した。
和解によって補償を受けた被害者は6470人、和解額は約1430億円にのぼる。
スモン裁判は、その規模と成果において日本の薬害裁判史上特筆すべき地位を占めている。片平洌彦氏(東京医科歯科大学)は次のように述べる。
「……スモン=キノホルム薬害事件は、サリドマイド事件のときにはなし得なかった薬事法の改正と副作用被害者救済制度の創設という、国民全体に役立つ結果をもたらした。戦後日本の薬事・医療の歴史を学ぶ上で、不可欠の事件といえよう。」片平1994:47
しかし、ここで言及されている「副作用被害者救済制度」については、
スモンは1955年頃から散発し、1967〜8年の大量発生で社会の注目を集め、「奇病」として恐れられた。患者は重篤な症状と原因が不明であることによる恐怖から、著しく差別され、ウイルス説が発表されたときにはて自殺者が相次ぐことになった。この間に被害者とその家族がなめた辛酸は筆舌に尽くしがたいものがある。
スモンの原因が「キノホルム」薬害であることが確定すると、被害者は被害者団体を結成し、原因究明、責任の明確化と被害者の救済を求め各地裁で提訴した。やがて患者団体は全国組織を結成し、救済のみならず薬害の根絶をもとめる裁判闘争を展開して国民の共感をあつめた。
このスモン被害者の運動は1979年9月の薬事二法成立の原動力となった。同年9月15日には、東京地裁の斡旋によって国及び製薬企業がその責任を認め、被害者救済の道筋を定めた確認書に調印し、当時の厚生大臣が謝罪するとともに、薬害根絶の努力を約束した。
「薬害根絶」を高く掲げたスモンの裁判闘争は、その後の薬害裁判に強い影響を与えたということができる。
スモン裁判の大勢が「確認書」によって定まってから20年が経過したが、ソリブジン事件や薬害エイズ事件など相変わらず薬害は多発している。スモン被害者の「薬害根絶」の願いは実現されていないばかりか、被害者の生活の問題も、むしろ大きくなっている。ス全協のパンフレットは次のように指摘している。
「それから20年、約束は守られず薬害が多発しています。スモン発症から30有余年、スモンを理解する医師も少なくなり、加えて国の医療・福祉など社会保障制度施策が後退するなかで、スモン患者は決定的な治療法もなく、余病を併発しやすくなっている今、医療費の全額公費負担の要求が、改めて切実な問題となっています。また、介護についてもこれまで介護してくれた父母、配偶者は勿論、兄弟や子供たちさえ長年の介護に疲れ、高齢化し、或いは倒れ、或いは他界し、そこへ介護保険制度の導入で「薬害被害者」という立場をまったく無視し、特殊な神経症状を考慮せず、老人介護だけを目的とし、保険料徴収が先にある矛盾だらけのこの制度のおかげで、新たな困難をもたらそうとしています。」